ransoucafeのブログ

卵巣のう腫、内膜症の手術記録

術後3日

12月23日
横を向いて寝るのに抵抗がなくなってきた。

今日から五分粥、楽しみに待っていたらお粥ではなく食パンが出てきた。ほんのり温かくジャムつき。ジャガイモサラダもあって美味しく食べれた。

卵巣嚢腫には食パンがあまり好ましくないという記事を昨日みたばかりだったが、やっばりパンは好き。

食後から喉のイガイガ感にきづく。
術中の酸素チューブで喉が多少傷つくので仕方がない。咳をする度に、お腹の傷にひびく。
のど飴をなめ始める。

産婦人科病棟のシャワー利用は9時半から15時までなので、なんとなく11時に予約を入れた。
一人30分。久しぶりのシャワーなので、立ちくらみや傷口が心配。
傷口はテープの端がめくれていたりして、完全に傷口を守れないかんじがした。
助産師にシャワーの時の注意を聞いてみた。
顔を泡洗顔するようにやさしくテープの上を洗うといいとのこと。
ネットでも、体液や汗、血の塊などを落として清潔にして雑菌の繁殖を防ぐといいと書いてあった。

翌日主治医に聞いたら、泡で洗わなくていい。お湯で流すだけにした方がいいとのこと。入院中はそうすることにする。
あと、テープがめくれすぎている言われ、きれいにピッチリ隙間なく貼りなおしてもらう。安心。

シャワー部屋には高めの椅子が置いてあって立ちくらみの心配はなかった。
時計もあちこちに配備してあって、次の方に迷惑がかからないよう時間より早くドライヤーまで終えることができた。
さっぱりしたら、いよいよ元気になってきた。
周りに目がいくようになる。
同日入院の向かいのベットの方が退院して行った。
ずっと自分が話せるような状態ではなかったので交流は朝の挨拶程度だったが、最後に挨拶ができてよかった。
彼女は術前、術後の便秘と特に腰痛に苦しんでいた。
夜中も痛いと一人で連呼していた。痛いと連呼する気持ちがとてもわかるので、自分も痛いながらも、心でがんばれ!がんばろう!とエールを送っていた。
一緒の部屋の人が退院すると、良いことなんだけど少しさみしい気持ち。

血栓防止の足ポンプの音がすると、手術後間もない人がいることがわかる。
自分がいた四人部屋は、私と今日退院した彼女が20日に手術。隣の方が21日。ななめ向かいの方が22日。
隣の方は、翌日退院されて行った。すごく回復が早い方で血栓ポンプを外したあと、歩けるかと聞かれて、すぐにスタスタと歩き始めて本当に驚いた。
入院期間も短いし、傷も小さかったのだろうか。
50代くらいで、テレビも夜中じゅう付けていて、音もたてまくっていた。
迷惑に感じる一方で、こちらもそんなに音に神経を使わないでいいのかもと気楽にも感じた。

自分もトイレが近いので、周りに迷惑をかけたと思う。水洗の音は大きいし。なにより、術後は痛がってまわりに気使うどころじゃなかった。きっとうるさかったと思う。

夜、寝れないことに関しては、あまり気にしなかった。一睡もできないわけじゃないし、体が睡眠不足を感じたら、ちゃんと寝れるだろうしと思った。

結局退院まで、夜は1時間おきに起きてトイレに行ったり、そのまま寝付けなかったり、朝方3時間連続で寝れたら満足だったりと、あまり理想的な睡眠ではなかったけど、体調には影響なかったと思う。

術後2日

12月22日
朝、起きると吐き気がない。
痛みも昨日よりは痛くない。
トイレまでの歩行も、昨日より楽な気がする。
色々なことがマシになる。
痛みも錠剤の痛み止めを自分のペースで飲むようになる。
1日4回、3錠ずつ飲むカロナール
我慢は出来るけど、この日も相当痛みはあった。
でも断然昨日よりマシ!

傷口より、嚢腫を取った卵巣あたりが痛い。
先生に言ったら、ザクザク切ったからねーと。
やけどのようにチリチリ痛くて、時折激痛が起こる。不快な痛みだけど気にしないように努める。

この日は術後、初めての食事。
ワクワクする。しかし流動食。魚の味のゼリーとかほうれん草の味のゼリーとかとにかく離乳食のような‥美味しくはなかった。三分粥を残念な気持ちで喉に流しこむ。

昼、初便。ダグラスカも取れる‼
ダグラスカは横腹から太めのチューブが出ていて、その先には青汁シェイカー位の大きさの透明なボトルがついている。このボトルを入れるためのポシェットを常時首から下げられて寝てるときも凄く邪魔だった。

すごく嬉しい。
前かがみだけど、とにかく歩いた。
病棟内なら歩いていいと言われたので、廊下をうろうろ。デイルームで休んだりマンガ読んだり。お茶飲んだり。この日から昼寝は一切やめた。
ストッキングも脱ぐ。
今日もレンタル病衣へ着替える。
熱いタオルをもらって自分でふく。気持ちがいい。

今日はくもりで過ごしやすかった。
窓際なので、晴れの日は温室のようになるし、日焼けが気になる。

夜にはますます元気になり、明日の初シャワーのことばかり考えるようになる。
ドライシャンプーでは、やはりもの足りない。
元気になったからなのか、この日から夜、寝れなくなる。

術後1日

12月21日
8時
水が飲める。すごく美味しい。
痛みは昨日程ではないけど、まだまだ痛い。
9時
少し気持ち悪い
酸素マスク、背中のドレーン、心電図、足のポンプを外してもらえる。
マウスウオッシュでうがいをさせてもらう。唇が乾燥でガビガビになっていた。
担当の助産師に全身をふいてもらう。すごく丁寧で恐縮と感謝の極み。足の指までふいてもらう。着替えも手際よく代えてもらう。人生初めての体験。介護を受けるとはこういう感覚なんだと勉強になった。
レンタル病衣に着替えて少し気持ちいい。
でも、吐き気が強まる。

気持ち悪さが急激に増して、えづく。胃は空なので何もでない。えづくと腹圧がかかってお腹に激痛が走る。
吐き気止めの薬を飲む。全く効かない。
歩けるかと聞かれる。
歩かないと癒着しやすくなるし、尿パックがとれない。術前は何があっても歩くと決めていた。
だけど、気持ち悪過ぎて歩けません。と答える。
気持ち悪い時は無理しなくていいと優しく言ってもらえる。優しい一言にすごく気持ちが救われる。

ダグラスカから出血が見つかる。
昨日も出血していたので、腹帯を二枚も血だらけにしてしまった。
病衣もシーツも血の染みがついてしまった。
病院は乾燥してるので、シーツに色々なしみがついても案外気にならなかった。退院前はそれらの染みが愛しく感じたほど。
後の洗いかえも考えると腹帯は三枚用意した方がよかった。(病院指定は一枚)

終わらない吐き気が辛い。昨日の痛みの辛さに匹敵する。よくないと思いつつ、指を喉に突っ込み、嘔吐をうながす。
えづく度に腹は激痛。
水?透明な液体が出る。
少し、楽になる。楽になったタイミングでナースコールをして、歩きます宣言。
13時半
尿パック、管を外してもらい、歩いてトイレへ。点滴キャスターを歩行器代わりにして、前かがみでよろよろ歩き。部屋内のトイレが遠い。
何度かトイレへ行く度に、ヨロヨロながらも起き上がり歩くのに慣れてきた。トイレしか行かないけど。

吐き気は翌朝まで続いた。
18時
点滴が外される。解放感!
痛みや、吐き気のことを考えると、術後約48時間は辛かったことになる。

手術当日

12月20日
6時起床。
音に気をつけて前日渡されていた術衣に着替え、血栓防止靴下をはく。下着はパンツだけ。病室は暖かいけど緊張のためか寒くてカーディガンを羽織る。
私は足が太いので靴下のはき心地を心配していたが、あまり気にならなかった。先が開いているタイプなのもよかった。

ふと、麻酔科で渡された冊子に術衣を来た患者のイラストがのっていたのが気になった。
硬膜外麻酔をされる直前の患者は背中を丸めて、術衣を背中側だけあけて横になっているイラスト。

術衣の着方に自信がなくなった。前後がわからない。前開きに着たものを急いで後ろ開きに着替え直す。イマイチしっくりこないのでネットで検索しまくった。
後ろ開きは着心地が悪いので再度前開きに着替え直して、 助産師へ確認した。前開きが正解。

7時に点滴開始。
この点滴は術後一日目の夜までつけっぱなし。採血の三倍位痛かった。針が太いからか。

8時夫到着。
夫が点滴のエアーに気づく。2センチ位空気が入っていると良くないらしい。
よくみたら腕からの出血が管へ逆流していた。エアーは数か所入っていた。
針を刺し直してもらった。点滴も自分で気をつけてチェックしないとダメだなと勉強。


9時予定通り手術開始となる。
夫と歩いて手術室へむかう。
家族待合室前で夫と別れる。
手術室の前の控え室で、名前の確認。何人もいるスタツフと挨拶。

すぐに手術室へ入る。
眼鏡を持っていかなかったので、細部まではよく見なかった。よく見えないことで緊張が和らぐと思いあえて眼鏡は持っていかなかった。

小学校の教室位の広さ。音楽が流れていて天井には沢山のライト。手術台は小さくて高さがあった。
手術台を見たとたんに緊張してしまった。
キョロキョロする間もなく台へのぼらされて、寝かせられる。3人のスタツフからかわるがわる指示を受ける。全く無駄な時間がない。緊張した私にはありがたかった。
スタツフの息がぴったりで、まるでロボットのようだった。私もロボットのように指示に従った。
ぼんやりする麻酔をまずされる。
主治医が入室してきて手を差しのべてくれた。ガッチリ思いを込めて手を握り返した。
背中に局所麻酔をされる。このおかげで硬膜外麻酔の激痛は回避できるらしい。この時点でもう私は記憶がない。
硬膜外麻酔を打つ時の痛みは相当らしいので助かった。

11時半手術終了の連絡が家族へ
夫への手術内容の説明、タッパーに入れた腫瘍を夫が撮影。


12時気がつくと手術室から自分のベットで病室へ戻るところだった。意識が戻ったとたん下腹部の痛みに気がつく。「痛い‥痛い」と連呼。痛いしか言った記憶がない。あとで夫に確認したらやはり一切「痛い」しか喋らなかったらしい。なんか恥ずかしい。

16時頃、やっと夫や母に話しかける。
少し前から目が覚めて会話してる声だけ聞こえていたが、痛すぎて話せなかった。
その後の記憶はあいまい。
翌朝までの記憶がちゃんとない。寝たり起きたり、ナースコールも沢山押した記憶がうっすらある。ひたすら痛みを訴えた。気がする。
酸素マスクはあまりイヤじゃなかった。頭がボケッとしすぎてて辛さの記憶がうすい。
1時間おきに血圧を計ったり、お腹をチェックされた。うがいをぐい飲みでさせてくれる瞬間が気持ちよかった。
自分では時間を全くチェックしなかった。する気にもなれなかった。
夕方なのか夜中なのか覚えてないけど、枕をもらえた。それまで枕が無かったことに気がつかなかった。麻酔医がきて、背中の硬膜外麻酔のドレーンから液漏れしてるので麻酔を止められる。
背中がびしょびしょなのも気がつかなかった。
止められると痛みがすごいことになるかと怯えたが、痛みレベルにあまり変化がなかった。結局硬膜外の薬を自分で出すスイッチも一度も使わなかった。助産師さんが押してくれたのだろうか?記憶がない。
硬膜外麻酔が止められたので、痛み止めの点滴を打たれていたと思う。
人が来る度、目も開けず痛いを連呼するという状態だった。
また血栓防止の両足につけられたポンプの音がうるさかった。たまに不規則になるのも嫌だった。
たまに尿意を感じたけど、すぐに尿チューブをつけられていることを思いだして嫌な気持ちになった。
まるで時間の感覚がない、痛すぎてなのか、麻酔のせいなのか分からないけど意識や記憶があいまいな術後20時間?だった。痛いことしか感じられない昼~翌朝までだった。

入院日

12月19日
手術の前日に入院
ゆっくり入浴をして、昼食をレトルトカレーで済ましてから巨大スーツケースを転がし電車とバスを乗り継ぎ一人で病院へ。

14時に受付へ
保証金8万円を支払う。預り証をもらってしばし待機。
産科病棟の助産師さんが迎えにきて、病室へ。
同じ日に同じ部屋になる患者さんも一緒に案内を受ける。何だか心強い。
リストバンドもこのときに付けられる。
これを付けられると入院開始、というのがより現実的になる。

病室は四人部屋。すでにお一人入っている様子。
カーテンを閉めて休まれていた。一緒に入院した方に改めてご挨拶とお互いの退院日を紹介しあい、頑張りましょう、と短めに会話。
音に気をつけて、着替え、身の回りの整理。

その合間に麻酔科の先生から別室で問診と麻酔の説明を受ける。同意書等書類を渡される。15分位。

担当の助産師さんがきて、入院計画書を渡される。看護師ではなく助産師だった。この病棟は看護師さんは3人で、助産師さんが10人位。皆気持ちの良い方ばかりだった。助産師、ナース、医師、清掃スタツフ皆仲が良さそうで、九日間入院して職場内の風通しの良さが患者にも伝わってきた。

たまに飲むアレルギー性鼻炎の薬、目薬を助産師へ預ける。あと腹帯と、生理ナプキンを1つ預ける。
シャワーは3時が最終なので2時入院の私はやはり使わせてもらえなかった。
心配していた浣腸やつらい下剤はなかった。
便がでなくても問題ないとのこと。結局排便はなかったけど全く気にされなかった。
剃毛もなかった。必要があれば麻酔の効いてる時に剃りますとのこと。結果ほんの少し剃られた。でも傷口は毛エリアに完全に入っていたので、もっと剃ってくれてもいいと思った。
へそ掃除もなし。
ネットで仕入れたやると思われる処置アレコレが結構はしょられていて拍子抜けした。でも後日処置がなかったことで何の問題も無かったので、はしょられてて良かった。

手術開始時刻の決定。
朝9時から開始なので、家族は20分前にきてもらうよう言われる。
6時ベットで夕飯。普通食。
夜9時以降は絶飲食。水もダメ。
ふと、手術後は手しか動かせなそうだと思い、術後の自分を想像しながらティシュや腕時計の配置をしていく。(あまり意味なかった)
9時消灯。緊張のためか寝たり起きたり。