ransoucafeのブログ

卵巣のう腫、内膜症の手術記録

手術当日

12月20日
6時起床。
音に気をつけて前日渡されていた術衣に着替え、血栓防止靴下をはく。下着はパンツだけ。病室は暖かいけど緊張のためか寒くてカーディガンを羽織る。
私は足が太いので靴下のはき心地を心配していたが、あまり気にならなかった。先が開いているタイプなのもよかった。

ふと、麻酔科で渡された冊子に術衣を来た患者のイラストがのっていたのが気になった。
硬膜外麻酔をされる直前の患者は背中を丸めて、術衣を背中側だけあけて横になっているイラスト。

術衣の着方に自信がなくなった。前後がわからない。前開きに着たものを急いで後ろ開きに着替え直す。イマイチしっくりこないのでネットで検索しまくった。
後ろ開きは着心地が悪いので再度前開きに着替え直して、 助産師へ確認した。前開きが正解。

7時に点滴開始。
この点滴は術後一日目の夜までつけっぱなし。採血の三倍位痛かった。針が太いからか。

8時夫到着。
夫が点滴のエアーに気づく。2センチ位空気が入っていると良くないらしい。
よくみたら腕からの出血が管へ逆流していた。エアーは数か所入っていた。
針を刺し直してもらった。点滴も自分で気をつけてチェックしないとダメだなと勉強。


9時予定通り手術開始となる。
夫と歩いて手術室へむかう。
家族待合室前で夫と別れる。
手術室の前の控え室で、名前の確認。何人もいるスタツフと挨拶。

すぐに手術室へ入る。
眼鏡を持っていかなかったので、細部まではよく見なかった。よく見えないことで緊張が和らぐと思いあえて眼鏡は持っていかなかった。

小学校の教室位の広さ。音楽が流れていて天井には沢山のライト。手術台は小さくて高さがあった。
手術台を見たとたんに緊張してしまった。
キョロキョロする間もなく台へのぼらされて、寝かせられる。3人のスタツフからかわるがわる指示を受ける。全く無駄な時間がない。緊張した私にはありがたかった。
スタツフの息がぴったりで、まるでロボットのようだった。私もロボットのように指示に従った。
ぼんやりする麻酔をまずされる。
主治医が入室してきて手を差しのべてくれた。ガッチリ思いを込めて手を握り返した。
背中に局所麻酔をされる。このおかげで硬膜外麻酔の激痛は回避できるらしい。この時点でもう私は記憶がない。
硬膜外麻酔を打つ時の痛みは相当らしいので助かった。

11時半手術終了の連絡が家族へ
夫への手術内容の説明、タッパーに入れた腫瘍を夫が撮影。


12時気がつくと手術室から自分のベットで病室へ戻るところだった。意識が戻ったとたん下腹部の痛みに気がつく。「痛い‥痛い」と連呼。痛いしか言った記憶がない。あとで夫に確認したらやはり一切「痛い」しか喋らなかったらしい。なんか恥ずかしい。

16時頃、やっと夫や母に話しかける。
少し前から目が覚めて会話してる声だけ聞こえていたが、痛すぎて話せなかった。
その後の記憶はあいまい。
翌朝までの記憶がちゃんとない。寝たり起きたり、ナースコールも沢山押した記憶がうっすらある。ひたすら痛みを訴えた。気がする。
酸素マスクはあまりイヤじゃなかった。頭がボケッとしすぎてて辛さの記憶がうすい。
1時間おきに血圧を計ったり、お腹をチェックされた。うがいをぐい飲みでさせてくれる瞬間が気持ちよかった。
自分では時間を全くチェックしなかった。する気にもなれなかった。
夕方なのか夜中なのか覚えてないけど、枕をもらえた。それまで枕が無かったことに気がつかなかった。麻酔医がきて、背中の硬膜外麻酔のドレーンから液漏れしてるので麻酔を止められる。
背中がびしょびしょなのも気がつかなかった。
止められると痛みがすごいことになるかと怯えたが、痛みレベルにあまり変化がなかった。結局硬膜外の薬を自分で出すスイッチも一度も使わなかった。助産師さんが押してくれたのだろうか?記憶がない。
硬膜外麻酔が止められたので、痛み止めの点滴を打たれていたと思う。
人が来る度、目も開けず痛いを連呼するという状態だった。
また血栓防止の両足につけられたポンプの音がうるさかった。たまに不規則になるのも嫌だった。
たまに尿意を感じたけど、すぐに尿チューブをつけられていることを思いだして嫌な気持ちになった。
まるで時間の感覚がない、痛すぎてなのか、麻酔のせいなのか分からないけど意識や記憶があいまいな術後20時間?だった。痛いことしか感じられない昼~翌朝までだった。